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デビューまでの道のり④ 

仕事に復帰して一ヶ月後、再び出版社から手紙が届きました。

六ヶ月近くの入院療養期間を終えて仕事に戻ってからというもの、帰宅すると出版社から返事がきていないかポストをのぞく毎日でした。
そしてある日、知らない差出人の封筒が届いたのです。なぜか急に胸が躍りました。着替えもしないで、とりあえず封を切ると、なかから手紙と名刺が……。ようやく念願の返事が、フランス書院から届いたのです。

そのときの差出人が、今の担当さんです。入院前に書きあげて送った作品を目にとめてもらえたようで、新人作家候補の話をいただきました。実際に「転校生・麗子」でデビューするまでは、細かなやり取りを繰りかえして一年以上かかりました。

しかしデビューしてからが、本当の試練のはじまりです。
兼業には兼業の、専業には専業の大変さがあります。しばらくは私も兼業でしたが、今は専業作家です。兼業のときは時間が足りなく、専業は一冊一冊に生活がかかるので精神的な負担が大きいです。
でも、私は官能小説が好きです。この業界に残れるという保証はない厳しい世界ですが、私の小説を読んでくださるファンがいる限りは、がんばって書いていきたいと思います。

長々と四回に渡って書いてきましたが、これはあくまでも不器用な私のやり方であって、デビューへの道のりは人様々です。
投稿中の一番の敵は、自分の心のなかにあると思います。折れそうになる心に負けないで書きつづけることが、デビューへの近道かもしれません。
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[ 2006/07/21 17:13 ] デビューまでの道のり | TB(0) | CM(4)

デビューまでの道のり③ 

出版社からの返事を初めて受け取ったのは、病院のベッドの上でした。

もともと慢性の腰痛持ちでしたが、仕事が厳しくなるにつれ悪化。脚が痺れて五分くらいしか歩けない状態になってしまいました。
病院に行くと「脊椎分離すべり症」と診断され、状態が酷いので外科手術以外方法はないと言われてしまったのです。長期入院になるということだったので、書きかけの原稿を入院の前日に仕上げて、フランス書院に郵送しました。
七時間半にもおよぶ手術の結果、私の腰には今もチタン製のボルトとプレートが入っています。

入院して手術も終わり2週間ほどたった頃、嫁が一通の封書を手渡してくれました。差出人を見ると以前投稿した、とある官能小説の出版社からのものです。内容は不採用という結果でしたが、返事などもらったこともなかったので、嬉しさと手応えを感じました。

絶対にデビューすると心に決め、二ヶ月の入院期間中も夜中にベッドのなかで、ノートにこっそりと小説を書きためました。
退院後もリハビリと安静期間が三ヶ月ほど必要で、仕事には復帰できません。ずっと起きあがっていることはできないので、執筆と休憩を一日に何度も何度も繰りかえしながら、投稿用の小説を数本仕上げました。

その④へつづく。


[ 2006/07/19 19:55 ] デビューまでの道のり | TB(0) | CM(0)

デビューまでの道のり② 

投稿時代なによりも欲しかったのは時間でした。

仕事は食品のルート営業だったので、AM2:30に起床(はっきり言って夜中です)、3時過ぎに出社(会社が近いのが救いでした)。早朝から開店前の店舗をまわって荷物を降ろし、その後営業をする仕事でした。
朝の小休憩中はおにぎりを頬張りながら、メモ帳に小説を走り書きしていました。できるだけ早く帰宅して小説を書きたいので、昼休みはとりません。とはいえ最低でも13時間、長ければ16時間労働という仕事です。
帰宅後、夕食と入浴をすませたら、あとはひたすら原稿を書きます。寝る前には必ず本を読むようにしました。

休日は当然ながら、食事と入浴以外はひたすら書きまくる。それでも時間が足りません。睡眠は3時間、この生活が2年間つづきました。
しかし1年半が過ぎた頃でしょうか。投稿に熱がこもるあまり、嫁との会話もうわの空。平日も休日も部屋にこもって、交わす言葉も二言三言。嫁が長かった髪をバッサリ切ったのに、三日も気づかない有様でした。
さすがに嫁の怒りが爆発して、それ以後せめて休日くらいは生活にメリハリをつけようと心がけました。どうも私には、ひとつのことに没頭してしまうクセがあるようです。

初めて書いた小説は6ヶ月もかかってしまいました。2作目以降はだんだん執筆の速度もあがり、3ヶ月に1本のペースで投稿したと思います。最後のほうは、もう少し早く書けるようになりました。
投稿してもあるレベルに達していなければ、当然出版社からはなんの連絡ももらえません。
何本も投稿しているのに連絡がないと、だんだん不安になってきます。そうすると、本当に読んでもらえているのだろうかとか、やっぱりコネがなければ無理なのだろうかとか、悪魔が囁きだします。
その声に負けないように、小説を書きつづけました。

しかし不況で会社の仕事はきつくなり、知らず知らずのうちに体に疲労が蓄積されていたようです。
そしてある日、私は再び入院生活を強いられることになります。

その③へつづく。
[ 2006/07/17 23:17 ] デビューまでの道のり | TB(0) | CM(0)

デビューまでの道のり① 

官能作家になる前は、ごく平凡なサラリーマンでした。
人より読書量が多かったわけでもなく、もちろん執筆の勉強などしたこともない。小説家を目指している知り合いがいるわけでもなく、当然小説のノウハウを教えてくれる人は誰もいない。完全にゼロの状態から、作家になるために自己流で勉強をはじめました。

投稿生活2年、書いた作品9本。サラリーマンをしながらの投稿生活は、正直かなりきついものでした。私は器用ではないので、何事も人の倍以上の努力が必要です。小説もその例外ではありませんでした。

何事もなくサラリーマン生活を送っていたら、おそらく官能小説家にはなっていなかったと思います。ここからは、少し私の過去話にお付き合いください。
20代半ばに身体の異変に気づき、病院に行きました。
手術しないと命に関わるよといきなり言われたのですが、状況が呑みこめません。なにしろその医者、機械の使い方もわからず右往左往している状態なので、素直に信じる気にはなれませんでした。
そういうわけで別の病院に行きましたが、結局悪性腫瘍のおそれがあると診断され入院することになったのです。すべてが信じられませんでした。
とりあえず手術をして開いてみないと良性か悪性かわからない状態だったのですが、病院の先生は経験上、悪性でもそんなに質の悪いものではないはずと言って慰めてくれたのを覚えています。
結局、腫瘍は悪性で摘出することになりましたが、手術は無事に終わり、転移などの検査の結果が出るまでの数週間、病室のベッドで将来について真剣に考えました。
仕事に追われて家と会社の往復だけの毎日。このままで死んだら、なんてつまらない人生だろう。まだ死にたくないと切実に思いました。

その後、転移もなく予後も良好です。
ただあのときの死に直面したときの気持ちは、今もこれからも決して消えることはないでしょう。
このときの体験が、後の投稿生活を支えるモチベーションになったのは間違いありません。

その②へつづく。
[ 2006/07/16 00:38 ] デビューまでの道のり | TB(0) | CM(2)
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